神守国民学校の遺家族田植え奉仕 百島にて 昭和16年(1941)6月

日中戦争が泥沼化する中、神守村でも出征者や軍需工場徴用者が相継いだため青壮年男性は激滅し、耕作放棄が多く見られるようになった。
当時、これは全国的な社会問題にもなっており、学校や工場では農繁期に限って出征家族の農作を手伝うよう奨励されていた。
写真は国民学校生徒の労働奉仕を視察する相川勝六知事。遠くには佐屋街道の松並木が見える。
この松並木は、太平洋戦争が始まると熱料用に伐採されてしまった。


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