他人を感動させようとするなら、まず、自分が感動せねばならない。そうでなければ、いかに巧みな作品でも生命を持たない。(ジャン=フランソワ・ミレーの言葉より)
今年の夏は記録的な猛暑となりましたが、ようやく秋の気配を感じる季節となりました。
秋、といえば「芸術の秋」。というわけで、夏に開催した「図書館体育祭」に続いて、今年の秋は「図書館文化祭」を開催する運びとなりました。「文化祭」は、「音楽会」と「美術展」の二部構成となっています。
もちろん、ここは図書館ですので「本」が主役となります。「アート」と「本」の出会い、ご堪能下さい。
音楽会
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オープニング
混成合唱「手紙 ~拝啓 十五の君へ~」 『くちびるに歌を』 中田永一
運転席の窓をあけて松山先生は言った。
「【くちびるに歌を持て、ほがらかな調子で】ってね。それをわすれないで」
私たちがうなずくのを確認して、松山先生はエンジンをかけた。物語の舞台は、長崎県五島列島のとある小さな島の中学校。合唱部顧問の松山先生が産休に入るため、音大の同級生・柏木ユリが臨時教員となりやって来た。全国コンクールの課題曲「手紙~拝啓 十五の君へ~」の意味を見出すために、柏木先生は部員たちに15年後の自分に宛てた手紙を書く宿題を出す――。
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第一部・ピアノは語る
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Ⅰ.ドビュッシー「月の光『ベルガマスク組曲』より」 『さよならドビュッシー』 中山七里
「審査員も観客も君の名前なんかには興味がない。君のピアノ、君が曲に込めた想いに共鳴したんだ。あんなドビュッシーは君にしか弾けない。それは、君だけが持ち得る力だ。音楽の神様が君だけに許した力だ」
ピアニスト・岬陽介が登場する「岬陽介シリーズ」の第一作。祖父と従姉妹とともに火事に遭い、全身大火傷の重傷を負いながらもピアニストになることを誓う遥。コンクール優勝を目指して猛レッスンに励むが、不吉な出来事が次々と起こる。
ちなみに、2018年はドビュッシー没後100年のメモリアル・イヤー。 Ⅱ.シューマン「幻想曲ハ長調 作品17」 『シューマンの指』 奥泉光
Ⅲ.ショパン「ノクターン第二番」 『ひとさし指のノクターン 車いすの高校生と東京藝大の挑戦 』
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休憩
フォーレ「シチリアーノ」(曲名は書かれていませんが、フルートの名曲として紹介します) 『おんがくねずみ ジェラルディン はじめておんがくをきいたねずみのはなし』 レオ=レオニ
ほかの ねずみたちも この きせきを ききに あつまって きた。おんがくが おわると、いちばんの としよりねずみ グレゴリーがささやいた、「もし これが おんがくと いうものなら、ジェラルディン、おまえの いうとおりだ。あの チーズを たべる わけには いかない。」
おんがくをきいたことがなかったねずみのジェラルディンは、ある日、台所でとても大きなチーズを見つけます。チーズをかじっていくと、中からチーズのねずみの像が現れて、夜になるとしっぽをフルートにして、ジェラルディンに演奏を聴かせました。
「おんがくだ!」「これこそ おんがくにちがいない!」ついにジェラルディンは、おんがくと出会ったのです。 -
第二部・Let’s クラシック♪
Ⅰ.べートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ第5番『春』」 『船に乗れ!』(1)~(3) 藤谷治
Ⅱ.ヴィヴァルディ「ヴァイオリン協奏曲『四季』」 『ピエタ』 大島真寿美
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Ⅲ.武満徹「ノヴェンバー・ステップス」 『おわらない音楽』 小澤征爾
だいたい指揮者という商売は、自分一人ではどんな音だって出せない。演奏家や歌い手がいて初めて音楽が生まれる。宿命的に人の力がいるのだ。
どんな人たちに支えられてきたか。その恩人たちを紹介するのが僕の「履歴書」なのかもしれない。それには生まれた時のことから順に追っていくのが良さそうだ。昔を振り返らず、次の演奏会のことだけを考えてきた「世界のオザワ」。斎藤秀雄、バーンスタイン、カラヤンら恩師との思い出をはじめ、家族への思いや音楽への情熱を余すところなく語った一冊。マエストロの疾風怒濤の半生に耳を澄ましてみましょう。
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第三部・Rock‘n’ Roll Star
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Ⅰ.Green Day「Basket case」 『階段途中のビッグ・ノイズ』 越谷オサム
俺いま、ほんとに楽しいよ。あのとき大野が階段の下で足を止めてくれなかったら、俺、今日はどこで何してたんだろう。
(中略)
全部、今日のためだ。いまこの瞬間のためだ。
啓人はこれまでの日々で培ってきたありったけを、マイクとギターにぶつけた。県立大宮本田高校の軽音楽部は、部員が不祥事で退学処分となり廃部の危機に立たされていた。唯一残った部員の啓人も部の存続を諦めていた時、幽霊部員の伸太郎が現れ、校長に直談判した結果、条件付きで部の存続を認めさせることに成功。条件の一つが、半年以内に何らかの成果をあげること。さて、文化祭での一発ドカン!は叶うのか?
Ⅱ.Red Hot Chili Peppers「Dani California」 『フジロック20thアニバーサリー・ブック』
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美術展
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オープニング
レオナルド・ダ・ヴィンチ「モナ・リザ」 『ルーヴル美術館の舞台裏』
「ここはパリの中で、一番おしゃべりできる場所である。暖房が入っていて、退屈せずに人を待つことができる。それに、女性にとっては格好の逢引きの場所である」
(シャルル・ボードレール)
シャルル・ボードレールはフランスの詩人
“城塞”として建てられたルーヴルは、どのような経緯で“美術館”となったのか?「モナ・リザ」をはじめとする名画たちは、なぜルーヴルに所蔵されているのか?ルーヴルを知れば、きっとルーヴルに行きたくなる!
「ルーヴルへの招待」と銘打たれたこの一冊は、ひいては「美術への招待」と言えそうです。 -
第一部・日本画を読む
Ⅰ.長谷川等伯「松林図屏風」 『等伯』上・下 安部龍太郎
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Ⅱ.葛飾応為「吉原格子先之図」 『眩(くらら)』 朝井まかて
さてあたしは、いくつまで生きるのか。
あと十年、いや五年あればと願った親父どのの気持ちが今、心底わかるような気がした。
一筆二筆のうちに、筆外の意が現れる。それはある時、ふと得られるものだ。でもすぐに逃げて見失う。その繰り返しこそが画業だ。偉大過ぎる父・葛飾北斎、兄弟子・渓斎英泉への叶わぬ恋、北斎の名を利用し悪事を重ねる甥。人生にまつわる面倒事も、ひとたび筆を握れば全て消え去る。北斎の右腕として、風景画から春画までをこなす一方、自分だけの光と色を追い続けた女絵師・応為の生涯を描く作品。2017年にはNHKでドラマ化されている。
Ⅲ.長沢芦雪「白象黒牛図屏風」 『ごんたくれ』 西條奈加
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休憩
モンドリアン「コンポジション」(作品名は書かれていませんが、「コンポジション」らしき作品が登場します) 『うさこちゃん びじゅつかんへいく』 ディック ブルーナ
あるひ おかあさんが いいました。いいこと かんがえたわ。びじゅつかんへ いこうと おもうの。いっしょに いきたいひと いる?
うさこちゃんが、お父さん、お母さんと、三人ではじめて美術館へ行くお話です。本物そっくりのリンゴの絵を観たり、うさこちゃんにそっくりな青いうさぎの彫刻を見たりして、うさこちゃんは大満足で帰りました。そして、思いました。大きくなったら画家になるの!
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第二部・洋画を読む
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Ⅰ.ピカソ「ゲルニカ」 『暗幕のゲルニカ』 原田マハ
――芸術をなんであると、君は思っているのだ?
画面の中からピカソの声がした。
芸術は、飾りではない。敵に立ち向かうための武器なのだ。
私は闘う。断固、闘う。この世界から戦争がなくなるその日まで。戦争そのものと。反戦のシンボルにして20世紀を代表する絵画「ゲルニカ」。国連本部に飾られていたこの名画のタペストリーが2003年のある日、突然姿を消した――。MoMAのキュレーター八神瑤子は、ピカソの名画を巡る陰謀に巻き込まれていく。
故国・スペイン内戦下に想像した「ゲルニカ」に、画家は何を託したのか? Ⅱ.ゴーギャン「我々はどこから来たのか 我々は何者か 我々はどこへ行くのか」 『月と六ペンス』 サマセット・モーム
Ⅲ.ゴッホ「赤いブドウ畑」 『ファン・ゴッホの手紙』
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第三部・「美」を支える
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Ⅰ.モネ「睡蓮」 『モネ、ゴッホ、ピカソも治療した絵のお医者さん』 岩井希久子
私は世界一、絵にやさしい修復をしたいと思っています。世界で通用するような技術で、「これはキクコがやった修復だ」、と言われるような修復ができるようになりたい。作家の魂を未来に残すために、作家の思いによりそい、作家の意図したことを伝え、作品にとって最善の状態を保つ修復をしたいと思っています。
NHK「プロフェッショナル・仕事の流儀」にも登場した絵画修復家・岩井希久子さん。モネやピカソの作品やディズニーのセル画など、実際に修復に携わった数多くの作品のエピソードを交えつつ、絵画修復の現場を紹介してくれる一冊です。
岩井さんの仕事への情熱と使命感に心打たれます。 Ⅱ.ルドン「眼をとじて」 『ミュージアムの女』 宇佐江みつこ
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「津島」を描いた画家 杉本健吉
「杉本健吉」という名前を聞いたことはありますか?名鉄電車に乗っている時に「杉本美術館」の中吊り広告を目にして、名前だけは知っているという方も多いかと思います。杉本健吉は、津島第一尋常小学校(現在の津島市立南小学校)を卒業した津島市に縁の深い画家です。
今回「図書館文化祭」のオマケとして、“「津島」を描いた画家・杉本健吉” について紹介したいと思います。
一、杉本健吉を知る。
さて、今から3つの画像をお見せします。
3つとも、この地域に住む人であれば見たことのあるものばかりだと思います。
実は、これらは全て杉本健吉がデザインしたもの。杉本健吉は画家としてだけでなく、現代風にいえばグラフィック・デザイナーとしても多くの作品を残しています。
もちろん、画家としても多くの作品を残しています。奈良を舞台に多くの作品を描いたことから「奈良の杉本」と呼ばれており、33年にわたって東大寺の絵馬を描いたことでも知られています。
他に、1950年から「週刊朝日」に連載された吉川英治作『新・平家物語』で挿絵を担当。『新・平家物語』は戦後を代表するベストセラー小説で、1972年にはNHK大河ドラマの原作にもなっています。
二、津島で育つ。
杉本健吉は、1905(明治38)年に名古屋市矢場町で生まれました。父は人形浄瑠璃三味線師匠の杉本銀四郎。
1912(大正元)年に四日市第一尋常小学校へ入学したものの、父の転居に伴い名古屋、大垣、笹島と転校を重ね、1918(大正7)年に津島第一尋常小学校(現在の津島市立南小学校)を卒業しています。
杉本健吉の才能は小学生の頃から発揮されていて、しばしば学校の代表に選ばれていました。
小学校時代に知人からニュートン社の絵の具4本を貰い、その絵の具で描いた作品が現在も杉本美術館に所蔵されています。
そのひとつが「津島千本松原」。
ハガキの1.5倍ほどの小さなサイズの風景作品ですが、油絵の特質である色を何層も重ねる画法が用いられていて、小学生の手によるものとは思えない出来栄えです。
天王川公園などで写生をしている折に、やはり津島出身で東京美術学校(現・東京芸術大学)を卒業した洋画家・加藤静児氏に、よく出会ったそうです。
加藤氏については、杉本健吉が進路を相談したところ「絵では食べていけないから絵は趣味にして、職業としては図案家の勉強をしなさい」とすすめられ、愛知県立工業学校図案科に進学した、という話が残っています。
三、津島を描く。
1928(昭和3)年、23才の杉本健吉は津島町公会堂で初個展を開催します。
人生はじめての個展の会場が津島であったことに、杉本健吉と津島の縁を感じますね。
その後も、杉本健吉は天王祭、津島神社、天王川公園などを題材に多くの作品を描いています。
皆さんにもお馴染みの津島の風景を、杉本健吉がどのように描いているのか、覗いてみましょう。
【提供:杉本美術館】
四、津島へ還る。
2000(平成12)年11月3日、津島市立図書館の開館記念事業として、母校・南小学校の体育館でトークショーを開催。市民ら約500人を前に、「私の津島」と題して小島廣次さんとの対談を披露しました。
杉本健吉、御年95才の声に耳を傾けてみましょう。
話題の中心となるのは、やはり小学生時代の思い出
まず、小学校当時の恩師・羽柴時太郎先生について。
「羽柴時太郎先生がいなかったら、私は絵描きにはなっていない。」と話しています。