ここは歴史ある町、津島。
時代は移り変わっても、町を歩けば昔の面影がチラリと顔を覗かせてくれる町です。
たまにはスマホを置いて、古地図を片手にノンビリと津島を歩いてみませんか。
毎日見ている景色が、面白く見えるかもしれません――。
さて、最初に登場するのは「偽図」とされている古地図2点。
どちらも、憶測で描いた絵図だと考えられています。
古地図と紹介するのは憚られるため、今回は「第0回」としました。
「古地図さんぽ」に出発する前のストレッチと考えていただければ、と思います。
第0回・ニセモノの地図?
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ちょっとこれ見たってー。
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はい。……えーっと、何でしょう? この2枚……地図、のようなものですか?
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「のようなもの」 は余計だがね。地図だわ、地図そのものだわ。分からんかね?
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……そういうところ相変わらずですよね、フジヱさん※1。
えーっと、この地図はどうされたのですか? -
この前、天王川公園※2に桜観に行った時、トイレ行きたくなったもんで図書館に寄ったんだわ。
そん時に前から気になっとったもんで、図書館におる人に『津島で一番古い地図見して貰えんかね』って聞いたら、これ出されたんだわ。 -
へぇー。
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そんで、図書館の人「ま、ニセモノですけどね、ハハハ」って言うんだわ。
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図書館で 「ニセモノの地図」って……。本当にそう言われたんですか?
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おそらく本当でしょうね。お二人さん、よろしかったら少し解説しましょうか?
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尾張国美濃国図
まず、【①尾張国美濃国図】から説明させて頂きますね。こちらは、三河猿投神社より発見されたもので、地図が作図されたのは養老元年(717)頃、といわれています。この地図は、多度や養老の山ぎわまで海岸線が迫り、犬山あたりまで海が入り込んでいたように描かれています。津島や長島は、まるで海の中にポッカリ浮かんだ島のようになっていますが、この地域が完全に海になっていたのは、縄文時代の中頃ですから、約6000年も前に遡らなくてはなりませんので、海の中に浮かんだ島から成っていたとは考え難い話です。
尾州古図
【②尾州古図】は、江戸後期に春日井郡玉井神社より発見された昔の尾張地図とされるものです。名古屋市の職人(指物師)・文左衛門(町人のため姓はありません)の憶測で描いた地図と伝わっています。いずれも尾張地方で酷い水害に襲われた際、ほぼ全域が水没する風景を見て描いた、今風に言えば「ハザードマップ」のようなものではないか、と考えられています。
2点とも創作といわれており、資料価値はありません。でも、考えてみて下さいね。今のような測量技術も道具もない昔の人たちが、何かを伝えるために一生懸命に描いた―、そう考えると素敵だと思いませんか。もちろん、どちらも昔の津島を知ることができる大切な資料です。面白いでしょう?
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確かに面白いわ……って、あんた、誰かね!?※3……そんで、どっから聞いとったんかね?
つづく