今年の大河ドラマは「どうする家康」。主役は徳川家康です。
「タヌキ親父」とも揶揄される家康は、子どもの頃を「人質」として過ごし、生涯の多くを戦いの中で生きた「苦労人」です。
家康にとって、「天下人」への道のりは、決して平たんなものではありませんでした。いつ命を奪われるかもしれない人質時代の辛い体験、そして戦乱の世を生き抜いた厳しい体験。これら自らの体験から学び、それを生かすことによって、およそ260年続く平和な時代「江戸時代」を築くことができたといえるでしょう。
今回のコーナー展示では「家康、天下泰平への道」と題し、家康が天下泰平の世を築くまでの生涯を辿るとともに、関連する図書を紹介致します。大河ドラマファンも、そうでない方もお楽しみ頂ければ幸いです。
1467(応仁元年)
応仁の乱、勃発 戦国時代はじまる
徳川家康。今年のNHK大河ドラマの主人公にして、誰もが知る歴史上の偉人です。では、家康が生き抜いた「戦国時代」とはどのような時代だったのか、ちょっと覗いてみませんか?
「戦国時代」の発端は、1467年の「応仁の乱」といわれています。10年以上も続いた「応仁の乱」の結果、室町幕府の権威が衰退し、各地の武将が武力にものを言わせて所領を奪い合うようになる……戦国時代のはじまりです。
『燕雀の夢』 天野 純希
『燕雀の夢』は、上杉謙信、武田信玄、伊達政宗、そして徳川家康ら、有名な戦国武将6人の父親を主人公にした連作短編集。父が英雄である息子へ抱く思いはそれぞれ複雑なようで……。
『戦国、まずい飯!』 黒澤 はゆま
『戦国、まずい飯!』は、乱世を生きた戦国武将が口にした「干し飯」や「芋がら縄」などを、多数の文献をあたって再現し、実証した食レポ本。さて、お味は?
1542(天文11年)
三河国・岡崎城で徳川家康、誕生!
武勇で名をはせた家康の祖父・清康が暗殺された「守山崩れ」から7年後の1542年、混迷する三河国・岡崎城内で家康は誕生します。父は松平広忠、母は三河国苅谷城の水野忠政の娘・お大。
しかし、お大の方の兄・信元が織田方に寝返ってしまったため、家康の父・広忠は、お大の方を離縁して、実家に帰すことになります。その時、家康はわずか数え年3歳。家康は母の顔を知らずに育つこととなります。
『家康の母お大』 植松 三十里
家康の母・お大の方を主役とした小説が『家康の母お大』。生き別れとなった幼い息子・竹千代を思う母・お大の方の愛に満ちた75年の激動の生涯を描く作品。
『青年家康 松平元康の実像』 柴 裕之
『青年家康 松平元康の実像』は、大河ドラマ「どうする家康」時代考証担当者による家康本。青年時代の家康はもちろん、祖父・清康、父・広忠をはじめとする、松平家の歴史にも詳しい一冊。
1555(天文24年)
14歳で元服、2年後、築山殿と婚姻
親族の裏切りや尾張の織田信秀の侵攻に悩まされた家康の父・広忠は駿河の今川家を頼ります。今川家の当主・義元は人質として嫡男・家康(幼名・竹千代)を駿河に送るよう要求。途中、織田家に攫われてしまったこともありましたが、8歳から19歳までの歳月を「人質」として駿河で過ごし、1555年に今川義元から「元」の一字を与えられて元服。義元の姪・瀬名(築山殿)と結婚します。
1560(永禄3年)
桶狭間の戦い! 家康、ついに独立
1560年、駿河の今川義元は自ら2万5千の大群を率いて西上を開始。迎え撃つ織田の軍勢は2千程度。織田信長、27歳にして人生最大のピンチ!その頃、家康は今川軍の先陣をつとめていましたが、そこに飛び込んできたのは、「今川義元、討たれる」の一報!
戦国最大の番狂わせ「桶狭間の戦い」は、家康の運命を一転させることとなります……。
1562(永禄5年)
家康、信長と同盟を結ぶ 信長ってどんな人?
「桶狭間の戦い」の後、ついに三河の領主として悲願の独立を果たした家康。この後の家康の人生も大いに気になるところですが、ここでちょっと一息。
郷土の三英傑の一人にして、映画化・ドラマ化も星の数ほどある、戦国最大のスーパースター・織田信長についての本をご紹介しましょう。
1566(永禄9年)
三河一向一揆、「徳川家康」へ
話は主人公・家康に戻ります。家康が三河国に戻り、信長と同盟を結んだからといって、三河国の統治がスムーズに進んだわけではありません。三河では「三河一向一揆」という騒乱が巻き起こり、家臣団が分裂。家康は大きな試練に見舞われることとなります。
その後、苦労の末に三河国を平定した家康は、1566年に朝廷から従五位下三河守に叙任されるとともに、「松平」から「徳川」に改姓。「徳川家康」として、名実ともに新興大名の地位を確立します。
『足軽仁義』1 井原 忠政
『足軽仁義(三河雑兵心得シリーズ)』は、喧嘩のはずみで人を死なせ、村を出奔した茂兵衛は、家康の家来に拾われ、足軽に。家康が勢力を拡大していくにつれ、数々の戦場で修羅場をくぐった茂兵衛も順調に出世する。足軽から見た、家康や徳川家臣団が描かれるのも面白いところ。
『チャートと地図でわかる徳川家康と最強家臣団義』 小和田 泰経
『チャートと地図でわかる徳川家康と最強家臣団』は、徳川家臣団に詳しい一冊。「我が宝は、我のために命を投げ出す家臣なり」と言ったと伝えられる、家康の最大の強み「家臣団」に迫ります。
1572(元亀3年)
三方ヶ原の戦い 「戦国最強の男」とは?
信長と同盟を結んだ家康は、同盟者・信長の天下取りの支援に奔走しますが、そう簡単には進みません。反織田勢力が結集する中、「戦国最強の男」武田信玄が動き出します。
1572年、2万5千の大軍で信玄は西上を開始。矢面に立つ徳川軍は1万1千程度。両軍は三方ヶ原で刃を合わせますが、武田軍は徳川軍を圧倒。家康は命からがら浜松城へ逃げ帰ることとなります。それは、家康の人生における最大の敗北でした。
『吹けよ風呼べよ嵐』 伊東 潤
若き日の家康を完膚なきまでに叩き潰した「戦国最強の男」武田信玄。『吹けよ風呼べよ嵐』は、武田信玄と上杉謙信が5度にわたり戦った「川中島の戦い」を舞台にした小説。臨場感たっぷりに描かれる合戦シーンは迫力満点!
『無名の虎』 仁志 耕一郎
『無名の虎』は、利き腕を失い失意に沈む日々を送っていた武田家家臣・雨宮軍兵衛が、武田家の命運を握る治水工事に挑む物語。まだ「晴信」と名乗っていた頃の若き信玄が登場します。
1575(天正3年)
長篠の戦い 武田軍にリベンジ!
徳川軍がぼろ負けし、次は織田軍対武田軍の一戦かと緊張が走りますが、三方ヶ原の戦いの4か月後、武田信玄は陣中で突然病没。これを受けた信長は反撃を開始。
将軍義昭を京都から追放し、朝倉氏、浅井氏を相次いで滅亡して、反織田勢力を瓦解します。一方、家康は信玄亡き後の武田氏に反攻。織田・徳川連合軍は大量の鉄砲を活用した「長篠の戦い」で圧勝。家康は見事リベンジを果たします。
『長篠の四人 信長の難題』 鈴木 輝一郎
『長篠の四人 信長の難題』の「四人」とは、信長・秀吉・光秀・家康のこと。「織田の味方を一人も損ねずに武田に勝て」など、信長の無茶ぶりに翻弄される3人の姿がユーモアたっぷりに描かれます。
『雑賀の女鉄砲撃ち』 佐藤 恵秋
『雑賀の女鉄砲撃ち』佐藤恵秋/著は、武田の騎馬隊が信長の三段射撃戦法によって粉砕された「長篠の戦い」を幼い頃に目撃した、紀州雑賀衆(さいかしゅう)太田左近の末娘・蛍が主人公の小説。
1579(天正7年)
信康事件! 妻子殺害命令、下る?
長篠の戦いから4年後、「武田と内通している恐れがあるから、正室・筑山殿と嫡男・信康を処罰しろ」という命令が信長から下ります。同盟をとるか、愛する妻子をとるか?
……この時、家康は妻・筑山殿を殺害し、嫡男・信康を自害させる苦渋の決断をした、とされていましたが、近年では実際に信康が武田寄りの動きを示したため、家康自身の判断で処罰した、との説も強くなっているそうです……怖っ。
『家康と信康 父と子の絆』 岳 真也
『家康と信康 父と子の絆』は、今川家の人質時代に瀬名姫(築山殿)との間に生まれた長男・信康に切腹を命じざるを得なかった家康の葛藤を描いた小説。
『戦国姫 』〔8〕 藤咲 あゆな
『戦国姫〔8〕瀬名姫の物語』は、瀬名姫(築山殿)を主人公とした児童向け小説。今川家の姫君として生まれ、家康に嫁ぎ一男一女に恵まれた瀬名姫。しかし、桶狭間の戦いをきっかけに運命が一変することに……。
1582(天正10年)
本能寺の変!! その時、家康は?
天下統一に向かって突き進む信長を待ち受けていたのは、家臣・明智光秀の裏切りでした。一瞬にして戦国の世を変えてしまった「本能寺の変」が起こった時、家康は信長の招待を受けて上方見物♪当日はわずかな伴を連れて堺にいました。
そこで、フツーに考えると光秀が次に狙うのは、信長最大の同盟者・家康の首。家康の領国・三河は、明智方の兵が渦巻く京を挟んで反対側……戦よりも危険な逃避行「伊賀越え」が今はじまります!
1583(天正11年)
清須会議、賤ヶ岳の戦い……信長亡き世は誰が動かす?
命からがら岡崎城に帰還した家康は、息をつく暇もなく西へと出陣!狙うは明智光秀の首……しかし、光秀はすでにこの世にいませんでした。
光秀を倒し、信長の仇を討ったのは、いち早く京へと戻った豊臣秀吉。織田家の後継を決める「清須会議」では、わずか3歳の三法師が後継、秀吉がその後見となることが決められ、1583年の「賤ヶ岳の戦い」で、秀吉は柴田勝家に勝利。秀吉は天下取りへと突き進む。
1584(天正12年)
小牧・長久手の戦い秀吉ってどんな人?
あ、主役が秀吉になっていますね。でも、仕方ないのです。この後、「小牧・長久手の戦い」で家康と秀吉はついに直接刃を合わせることになるのですが、互いの力を知る両雄はなかなか勝負に出ず、長い間にらみ合いが続く、続く、続く……と、気づけば8か月経っても決着つかず。戦いの果てにたどり着いたのは?……和睦です。
家康は秀吉に臣従の意を示し、ここに天下人・秀吉が誕生!ということで、秀吉についての本をご紹介します。
1590(天正18年)
小田原征伐、家康、江戸入り
1590年、秀吉は天下統一への最後の関門・北条攻めを開始。家康は「小田原征伐」で先陣として奮戦!小田原の陣中、秀吉は家康に、「戦後、現在の所領五か国と引き換えに、旧北条領となる関東八か国を授ける」と申し出ます。つまり、国替えを命じられたのです。
「関東の連れ小便」とも言い伝えられるこの場面は、2016年の大河ドラマ「真田丸」にも登場しています。
『家康、江戸を建てる』 門井 慶喜
『家康、江戸を建てる』は、家康が豊臣秀吉から関東への国替えを命じられる場面からはじまる小説。家臣団が猛反対する中、家康は「関東には未来(のぞみ)がある」と国替えを受け入れます。しかし、家康の目の前に広がるのは「灰色の土地」ともいわれた、水浸しの低湿地が広がる江戸。さて、家康は江戸をどう拓く?
『徳川家康の江戸プロジェクト』 門井 慶喜
同じく門井慶喜さんの『徳川家康の江戸プロジェクト』は、家康の都市計画をさらにググっと掘り下げた一冊。2冊あわせて読むのもオススメです。
1600(慶長5年)
秀吉の死、関ヶ原の戦い
1598年、豊臣秀吉は63年にわたる波瀾の生涯を閉じます。秀吉の死後、ついに家康は天下取りに自ら動きます。秀吉の遺児・秀頼を支えるべきと主張する石田三成派と対立し、やがて天下分け目の戦いとよばれる「関ヶ原の戦い」で両者は相対します。
1600年9月15日、関ヶ原の地で徳川(東軍)、石田(西軍)が対峙。小早川秀秋らの内通が決め手となり、戦いは東軍が数時間で圧勝。後に石田らは処刑されます。実質的に家康の天下は、この日から始まったといえるでしょう。
『修羅走る関ケ原』 山本 兼一
『修羅走る関ケ原は、わずか数時間で決着がついたとされる「関ヶ原の戦い」の1日を時系列に沿って臨場感たっぷりに描く小説。
『決戦!どうぶつ関ケ原』 コマヤスカン
『決戦!どうぶつ関ケ原』も「関ヶ原の戦い」の1日を時系列に沿って描いた作品ですが、こちらは戦国武将がタヌキやサル、ゴリラなどの「どうぶつ武将」に変身!徳川タヌキ家康率いる東軍と石田サル三成率いる西軍が関ヶ原で激突……さて、戦いの行方は?
1603(慶長8年)
家康、征夷大将軍へさて、江戸時代とは?
「関ケ原の戦い」に勝利した家康は、1603年征夷大将軍への任命を受け、江戸幕府を開きます。ここに、江戸幕府260余年に及ぶ歴史が始まります。
さて、その後の家康の人生も気になるところですが、いったん休憩。ここでは「江戸時代」とはどのような時代だったのか、ちょっと覗いてみましょう。山を壊し、海を埋め、川の流れを変え……と都市開発を進めた江戸の町づくりや、江戸時代についての本をまとめて紹介します。
『徳川15代のすべてがわかる本 その系図から史跡・埋蔵金伝説まで』
『徳川15代のすべてがわかる 家康と歴代将軍』は、世界史上のなかでも長く戦争がなかった稀有な時代、江戸時代を治めた15人の将軍を一挙に紹介する本。それぞれの功績を中心に将軍たちの実像に迫る!
『大江戸知らないことばかりNHKスペシャル大江戸 水と商と大火の都』
『大江戸知らないことばかり』は、「江戸はなぜ豊かな都市になれたのか?」という疑問に答える一冊。江戸に幕府を開いた当時、江戸の人口はおよそ6万人。その後、江戸は発展を続け、18世紀には人口100万人を超える世界最大級の都市にまで成長。現代にも通じる都市成長のヒントが詰まった一冊。
1615(慶長20年)
「大御所」時代と豊臣家の滅亡
さて、その後の家康の人生に戻ります。家康が征夷大将軍の座にいたのは、わずか2年ほど。1605年に、その座を息子の秀忠に譲ります。
といっても、引退したわけではなく、「大御所」として権力を握り続けます。家康にとって、最後の気がかりは豊臣家の存在。「方広寺鐘銘事件」をきっかけに、じわりじわりと豊臣家を追い詰めていきます。1615年「大坂夏の陣」に勝利し、秀頼と淀殿は自刃。豊臣家は滅亡します。それは、戦国時代の終焉を決定づけた戦いでした。
1616(元和2年)
家康の死。では、家康ってどんな人?
ついに豊臣家を倒して天下統一を果たした家康は、1616年、静かに人生の幕を閉じます。75歳でした。三河に生まれ、幼少期と晩年を駿河で過ごした家康は、長く続いた戦いに勝利を収め、江戸幕府を成立。戦乱の世を終焉に導き、死後は「東照大権現」として祀られることとなります。
ここまで、長きにわたって家康の波乱の生涯をたどってきましたが、ここで物語の主人公・徳川家康、その人にまつわる本をまとめて紹介しましょう。
『徳川家康 没後四百年』
『徳川家康 没後四百年(別冊太陽)』は、家康の没後400年に先駆けて2015年に出版された本。誕生から「東照大権現」として祀られるまで、家康の75年の生涯を豊富な図版・資料から辿り、人物像に迫ります。
『どうする家康』1 古沢 良太
『どうする家康 1』は、大河ドラマ「どうする家康」の脚本を基に、ストーリーやセリフを小説にしたノベライズの第1巻。大河ドラマの予習・復習にもオススメ。
2023(令和5年)
家康、大河ドラマに!「天下泰平」の未来
1592年、豊臣秀吉は明の制圧を夢見て朝鮮半島に大軍を送りますが、最中に秀吉は急逝。五大老筆頭だった家康は、即時停戦と帰国命令を出して戦いを終結させます。
後に江戸幕府を開いた家康は、李氏朝鮮との国交回復を目指して朝鮮に使者を送ります。その後、朝鮮通信使は1811年まで計12回日本を訪れ、日本各地で文化的な交流が行われました。
家康がこの世を去ってから、およそ400年という歳月が過ぎました。家康が拓いた江戸は東京へと名前を変えましたが、家康が目指した「天下泰平な世」、平和な時代が未来に続くことを願います。
『家康の海』 植松 三十里
『家康の海』は、天下分け目の戦いを制した後、諸外国との対等な外交を目指した晩年の家康を描いた小説。今川家での人質時代に軍師・太原雪斎から教えを受け、秀吉の朝鮮出兵には批判的だった家康の外交論とは?
『もしも徳川家康が総理大臣になったら』 眞邊 明人
『もしも徳川家康が総理大臣になったら』は、2020年の日本を舞台にしたSFビジネス小説。AIとホログラムで復活した偉人たちによる最強内閣、総理大臣はもちろん家康!
徳川家康@ライブラリー参加中!
愛知県内のさまざまな図書館が、 ひとつのテーマで展示やイベントを行う、@ライブラリー。
今回は、令和5年に徳川家康を主人公にしたドラマが放送されることから「徳川家康」をテーマとし、愛知県内の図書館が行う徳川家康に関する展示やイベントがまとめて紹介されています。
「@ライブラリー 徳川家康―ドラマ放送記念!―」愛知県図書館
期間:令和4年12月1日(木)~令和5年11月30日(木)