図書館周辺にて
図書館近くの用水路でカラスが捕まえたばかりの鮒を食べている様子を目撃しました。写真に収めようかと思いましたが、グロテスクな光景でしたのでやめておきました。
書棚の整理をしている時、どの本か忘れましたが背表紙の文字に「ミカカ」という文字を目に入りました。あとで該当する本が何だったか探してみましたが、見つからなかったのでタイトルの読み間違いかも知れません。
「ミカカ」と言えば、キーボードのかな入力のボタン配置が「み」=「N 」と「か」=「T 」なのでNTTの事を指し、電話代の事を意味しています。少し前に流通した俗語で、インターネットがまだ電話線を使っていた時期、もしくはパソコン通信が全盛期の80年代後半から90年代ぐらいまで「ミカカ代」と言われて使われていたようです。
中でも夜11時から翌朝8時までの電話が定額制で使えるサービスの時間帯が人気で、翌日休みの人は、夜更かししてチャットやゲームを楽しんでいたそうです。
私はパソコン通信の時代は良く知らないですが、インターネットが電話回線からISDNになって、ADSLになって通信速度が急激にスピードアップしていったのを憶えています。中でも、ADSLの販促活動はすごかったですね。街頭でモデムを無料で配っていたりして、誰とも構わず声を掛けてきて少し煩わしく感じたことを思い出します。
天気の良い日は汗ばむようになってきました。自販機も温かい飲み物が全て冷たい飲み物に切り替わって少しずつ暑くなってきましたね。
5月のミニコーナーのテーマは「内乱」です。ちょっと物騒なタイトルですが、毎日のように新聞やテレビで世界の紛争はニュースになっています。そうなるとテーマは「紛争」で良いような気もしますが、過去の歴史を振り返ると、日本でも争い事はあったわけなので広い意味で「内乱」としました。「civil war」は単純に英訳を調べたら該当したので深い意味はないです。
日本の内乱といえば歴史の中では後継者争いにまつわるものが多いですね。最近は新書『応仁の乱』(210.4/コ)がベストセラーとなって話題になりました。この戦は将軍の後継者争いが発端ですが、これが下剋上の戦国時代の始まりとなります。新聞でも取り上げられたこの本ですが、何でこんなに人気が出たのか気になるのでチャンスがあれば読んでみたいです。
今日は午後から良い天気です。
鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでるいい天気の日もありますが、急に天候が荒れる日もありましたね。新聞の天気予報がズバリすぎて怖いくらいです。
怖いと言えば、図書館の南側に並木道がありまして、そこを抜けると155線の少し手前まで出ることができます。この並木道ですが、人気もない緩やかなカーブの道で、夕方になると薄暗い雰囲気になります。
雑木林の方に目を向けると鳥の巣箱があるくらいの特に何でもない光景なのですが、ある日マネキンの首が引っ掛けてあったことがあり、さらし首のような状態になっているのを見てびっくりした事がありました。そんな日に限って曇りの薄暗い日だったりするので不気味さも倍増です。
何でこんな事をと思ってしまうのですが、最近は見かけなくなりました。今でもこの道を通るともしかしてと思い、ついその場所を見てしまいます。
土曜日から藤まつりが始まり、暖かい日も続くようになりましたね。
この前、映画「私をスキーに連れてって」を久しぶりに観ました。最初の10分だけのつもりでしたが、ついつい最後まで観てしまいました。この時代の20代はバブル絶頂期で、とても楽しそうです。後で調べてみると、この映画は1987年(昭和62年)11月に公開された作品で、ちょうど掲示中の過去の新聞と同じ年です。
新聞の掲示といえば、1997年(平成9年)の記事に市政50周年の記事がありました。今年は70周年で記念すべき年です。それを記念して1階展示コーナーにて昔の写真を展示していますのでご来館の際はぜひご覧ください。
正午ごろ。曇りはじめてきました。
午前中はいい天気でしたが、午後から曇って雨が降ってきましたね。それでも前よりだいぶ暖かくなって、鳥の鳴き声もウグイスの声を聴くようになりました。
鳥と言えば、あるお店の前で鳥がずっと鳴いていました。ふと上を見上げると、建物と看板の間に鳥の巣が出来ていて、そこを鳥たちが行き交いしていました。看板自体が店名の形に合わせた作りで、その文字の隙間に鳥の巣を何カ所か作っていた様子でした。ちょっとした空間ですが、鳥にとっては安住の場所なんですね。
鳥の話題言えばもう一つ、何年か前、館内の2階エレベータ向かいの自動扉からラウンジに出る間の所にスズメ(『スズメ』488.9/ミ)が閉じ込められていました。1日中閉じ込められていた様子で、弱々しく狭い空間を飛び回っていました。ガラス越しにその様子を心配そうに眺めているスズメが印象的で、鳥も仲間を思いやる気持ちを持っているんだなあとあらためて知りました。 (伊)
桜は咲いていますが、ここ2、3日雨やら風やらでいい天気になりませんね。
日曜日の読売新聞に名古屋城の場所にあった城、那古野城の事について書いてある記事がありました。那古野城は織田信長の父親、信秀の居城で発掘調査も行われ『名古屋城三の丸遺跡』等の調査報告書も発行されています。
新聞記事には今の城と比較した図面が載っていました。城内から愛知県体育館辺りが城跡だったようです。
名古屋城と言えば、天守閣の木造建築化が決定という事で話題になりましたね。名古屋城は戦火で焼失するまで写真や図面が多く残っているので忠実に復元が可能だと言われています。焼失前までは姫路城と同じ「国宝」に指定された天守でした。当時と同じ材質で完全に再現されるとしたら、現代の中では壮大な木造建築になるだろうと思います。
咲きましたね。桜
4月ですね。朝も少し暖かくなって気持ち良い天気が続いているせいなのか、通勤時に野良猫をよく見掛けるようになりました。
正面入り口の展示コーナーに掲示中の過去の新聞は不定期ですが、随時に各紙ごと更新していきますのでよろしくお願いいたします。掲示の元となる新聞記事ですが、当館が所蔵する過去の海部・津島地域の新聞記事を集めたスクラップファイルがありまして、そこから面白そうな、興味を持ってくれそうな記事を選んで、各紙ごと編集して掲示しています。
そのスクラップファイルの中の昭和52年頃の新聞を見ていた時、記事の下に津島駅近くにあったヨシヅヤ本店のカラー広告が載っていました。今のフィールやエディオンがある場所にヨシヅヤがあった時代ですね。もう懐かしいと思える領域に入っているのですが、当時は日曜日になるととても大勢の客で賑わっていたのを思い出します。
屋上の駐車場が一杯で、近くのボナンザパーキングに車を停める事も良くありました。私も行くのが楽しみで、お目当てはもちろんおもちゃ売り場でした。店内にはなぜか1階と3階に玩具店があり、何か買ってもらえないかと期待に胸を膨らませていましたが、大抵何も買ってもらえず、むくれて帰りの車に乗っていたのを憶えています。
それから平成の時代に入って何年かしてバブルが崩壊したあたりからでしょうか、不思議なぐらい客足が少なくなっていて、駐車場もがらんとした、少しさみしい光景になっていました。大げさかも知れませんが、往時を振り返ると、今の大型ショッピングモールの様な、買い物の場でもあり、家族が楽しめる憩いの場でもあった気がします。