先週の金曜日1月17日、阪神淡路大震災から25年を迎えました。25年、つまり四半世紀という歳月が経ち、「阪神淡路大震災」を知らない世代の方も当然ながら多くなりました。
私の世代にとって、阪神淡路大震災が発生した「1995年」は、阪神淡路大震災の後にオウム真理教による地下鉄サリン事件が発生したほか、金融機関の破綻も相次いだ忘れられない一年です。暖冬の今年とは違い、この年の1月17日はとても寒い朝でした。
今年の1月17日は、25年という節目にあたる年だったこともあり、例年より報道が多かったように思います。25年前、かつて体験したことのない混乱の中で「困っている人のために何かできることはないだろうか?」と考え続けた日々のこと、「ボランティア」という言葉がぎこちなく使われ始めたあの頃のことを思い出します。ギリギリ10代だった私は、大人でも子どもでもない年齢で、何もできずただ呆然としている一人の若者でした。
その後の25年の間には、東日本大震災をはじめ多くの災害が発生しました。大きな災害が発生するたびに「人の役に立つこと」について考えさせられます。来年、2021年は東日本大震災から10年を迎えます。「悲しみ」からも学ぶことができるのが人だとしたら、私は何を学ぶことができるのだろうか、そしてそれを活かすことができるのだろうか、この頃はそんなことをよく考えます。
結局、人を助けることができるのは人だけ-。1月17日朝刊の阪神淡路大震災の特集記事に書いてあった言葉が心に残りました。突然、明日を断たれた6434人の方々のご冥福を、あらためて心よりお祈り申し上げます。