「戦国ブーム」という言葉を、耳にしたことはありませんか?ゲームやアニメをきっかけに戦国時代にハマっている若い方にも、
「大河ドラマは戦国モノに限る!」という年配の方にも楽しめる、戦国時代が舞台となっている本を集めました。
冷たいドリンクをゴクゴク飲むように、「戦国」をゴクゴク読んでみませんか。初夏の乾いたノドと心を、本で潤しましょう。
1555年 厳島の戦い
大内義隆を討ち、大内家の実権を握った陶晴賢は、安芸の厳島に上陸した。毛利元就が築いた宮ノ尾城を陥落させるためである。しかし、これは元就の計算。戦国随一の戦上手と名高い元就は、謀略を講じて大内軍をおびき寄せ、奇襲作戦で打ち負かした。この勝利で元就は山陽の覇者となり、中国制覇へ大きく歩みを進めた。
1560年 桶狭間の戦い
西進をもくろむ今川義元は、大軍を率いて尾張に侵攻。桶狭間(名古屋市緑区)に陣を張った義元に、織田信長は奇策を講じて攻撃を仕掛け、見事その首を討ち取る。義元の夢はここについえ、時代の主役は信長へと移り変わってゆく。
1561年 川中島の戦い
永遠のライバル、武田信玄と上杉謙信の5回にわたる戦いの中で、最大の激戦は第4次川中島の戦いである。結果は引き分けだったにも関わらず、これほどに知られているのは、両雄の一騎打ちが繰り広げられたと伝わるため。戦国最強といわれた武田・上杉両軍も川中島の戦いを経て疲弊。天下取りの主役となることはなかった。
1575年 長篠の戦い
西上作戦を進める武田勝頼は、徳川家康の長篠城を包囲した。織田信長は家康に援軍を差し向け、織田・徳川連合は設楽原に陣を取る。さらに別部隊が武田方の鳶ヶ巣砦を急襲するなどして、武田軍を設楽原での決戦に誘い込んだ。迫り来る武田の騎馬隊を織田・徳川方は最新式の銃で迎え撃ち、戦いは織田・徳川連合の圧勝で幕を閉じた。
1582年 本能寺の変
本能寺に逗留していた織田信長は家臣・明智光秀の襲撃を知る。100人に満たない側近とともに、信長自身弓矢や槍で応戦したが、傷を負い覚悟を決めた。家臣に火を放たせ、御殿の納戸に籠り自害した。天下布武を目前にして、信長の夢はここに散ったのである。 明智光秀は、来年のNHK大河ドラマ「麒麟がくる」の主役。
1583年 賤ヶ岳の戦い
織田信長亡き後の覇権争いで、羽柴秀吉と柴田勝家は清州会議で対立。信長の嫡孫・三法師を担ぎ出した秀吉に不満を抱く勝家は、信長の三男・信孝や滝川一益らと共闘して、打倒秀吉を決意。かくして、近江の賤ヶ岳付近で両軍が激突。織田家を二分する戦いは死闘の末に秀吉に軍配が上がり、秀吉は天下人への道を歩み始める。
~津島ゆかりの武将~ 加藤 清正
この戦いで「賤ヶ岳七本槍」に数えられる活躍をした加藤清正は、津島で幼少期を過ごした武将。
津島市内には、清正が祀られている「清正公社」や、清正が通った寺子屋「妙延寺」など、清正ゆかりのスポットがあります。
現在も妙延寺に残る清正手習いの習字紙を掛けた「清正公草紙掛松」の幹の一部が残されています。
1600年 関ヶ原の戦い
豊臣秀吉亡き後の政権をめぐって、徳川家康と石田三成は対立を深め、やがて東西に分かれた戦いに発展する。開戦当初は西軍(三成ら)優位の展開に思われたが、家康の調略に応じた小早川秀秋が東軍(家康ら)に寝返り、軍配は東軍に上がった。この勝利によって天下を手中に収めた家康は江戸幕府を開く。
1614年 大坂夏の陣
関ヶ原の戦いで西軍が負けてから豊臣家は求心力を失い、「方広寺鐘銘事件」で家康に大坂の陣の口実を与えてしまう。冬の陣では、真田幸村(信繁)らの活躍によって講和に持ち込んだものの、夏の陣では遂に大坂城が家康の手に落ち、栄華を極めた豊臣家はここに滅びた。一方、天下を手中にした徳川家は戦国の世に終わりを告げ、260年続く太平の世の基礎を築いてゆく。